発見と問題の関係

学生の皆様、
・「研究における結果とは何か?理解していますか?」
・「いかに頭が良くても科学的発見はできない」場合がある

この二つについて話したいと思っています。

前者は今度ラボミーティングで話したいです。後者ですが、、、、、。理解力が優れていて、物事がすぐに分かる、そして、正しいことが何かを、人よりもいち早く見い出す人。研究室にもそのような学生が複数います。でも、そんな人でも科学ができない人がいます。科学ではそれだけでは足りません。はっきりといいましょう。それは、科学では「問題」は自分で作るからです。問題を与えられたときに解答に辿り着くのが「うまい」あるいは「速い」人が科学が得意というのでは、実はないのです。数学とかでは「難問」とかがあり、それを解いたらフィールズ賞も夢ではないかもしれません。しかし、数学も含めて多くの自然科学や学問では、問題自体が大よそ定式化されれいません。したがって、問題と答えを同時に発見することがしばしばあります。

例えば、私は若いころ、DNAパリンドローム配列が様々な遺伝子領域に挿入されていることを発見しました。このことは、後にScienceの論文となり、私自身にとってはクリーンヒットでした。でも重要なのは、この発見の最中で、「非コード領域とコード領域は混合するのか?」という疑問、「非コード領域からコード領域が産まれることはあるのか」という疑問をもったことです。

こういった疑問を、データを観察している時に同時に思いついていました。思いついた理由は、もともとそういった「遺伝子創成」に関して興味を持っていたからです。頭の中に遺伝子創成に関して漠然としたモデルがありました。

このように、観察事実と核心的な疑問は同時に見出されることがあり、疑問の方が見出されないと、事実を目の前にしていてもその重要性を見過ごしてしまうことになります。つまり、「パリンドロームがコード領域にあったからなんだって~の?」ということになりかねないのです。

もう一度言います。理解力が優れていて、正しいことが何かを人よりもいち早く見い出す人でも、科学をするに足りないことがあります。それは、科学ではしばしば問題を自分自身で作るからです。問題を自分で見出さないといけないのです。でも、科学では問題を発見することが実は難しく、それができれば、マラソンでたとえたら、半分くらい、20キロメートルくらい達成しているといえます。

君たちの使命は「意味のある問題を発見すること」です。
ここに、創造という精神作業があります。

緒方博之